Royal Bloodのアルバムを聞きながら書いている。ベースとドラムの二人組ユニットでこれがシンプルながら重厚でかっこよくてごきげん。


今日は最近産まれた甥っ子に会いに行ってきました。

愛媛に住んでいる両親もとんぼ帰りで会いに来てました。甥っ子や姪っ子が産まれたのは初めてじゃないけれど、俺も歳を取ったのか、今までで一番感動したかもしれない。

生命の奇跡をあらためて思ったな。ベタすぎやけど。あんな小さいのにちゃんと生きてる。それがどんどん大きくなっていくんだから、そんなの愛しいに決まってる。よな。

世間には虐待のニュースとかあって、ついつい手を上げたくなるほど子育てはタイヘンだったりするんだろうけど、そういうのって自分が過去にされてたり、負の連鎖的な要素もあって、なかなか根深い問題らしい。幸いにも俺の周りにそういう人はいない。

それが「幸い」じゃなく「普通」なんだと信じたいけれど、幸いな方なのだろうか。いつの世も、「普通」ほど定義しにくいものはないと思うけど、命や人間の尊厳を脅かすことは普通じゃないと思う。

生きてるだけで幸せ。いい暮らしできればもっと幸せ。もっといい暮らしができればもっともっと幸せに。

人間は幸せな状態が普通じゃないとダメになる業の深い生き物で、幸せのために嘘を付き、犠牲をたてる。幸せになるために時間を使い、幸せになるために人を愛する。

幸せになるために人を殺すし、幸せになるために人を救う。幸せになってもらうために幸せにする。 

そんな深い業を背負ったから、そんな業を知ってしまったからこそ、人間は一人じゃ生きられないようにできている気がする。一人で背負うには重すぎるから。

俺は一人でも大丈夫だよっていう人も、一人でも大丈夫だよっていう君を認識してくれている人がいるから、君は君のまま存在している。

知らずの誰かがすごく軽く背負ってるのかもしれない。あるいはこれが形を変えて「助け合い」と呼ぶこともあるのかもしれない。

哲学めいてきたな(笑) 夜中に書くような話になってきた。まだ酒入ってないぞ。このあと呑もうと思ってるけど。

幸せについて考えるまでもなく、俺はこの命があることが幸せだ。

そんな幸せな状態でも、辛いこと悲しいことは自分の影のように光あるところにぜったいついてくる。

幽霊には影は無いらしいけど、命の形があるものには影がある。人工物だとしても、それは誰かが何かの目的の為に産みだした命の形だ。

その影で凍える人は絶対居て、それを知りながらも俺たちは生きる。

大きな影が自分を飲み込むことがあった。自分の影さえ無くしてしまう程の大きく濃い、影。

やがてその大きな影が消え自分の影がまた見えた時、その影を見て悲しくて嬉しい気持ちになった。書いててそんなことを思い出した。

幸せに果ては無いのかな。この世の贅を知り尽くした人がもし居たら今は何を求めるのかな。そしてその人の影はどれくらい濃いのだろうか。

思うままに書いてたらめんどくせぇ話になってきた(笑) あとで焼酎とレーズンで晩酌しよう。

ちなみに俺の影は、俺の形をしてました。濃さはまだわからなかったけど、ただ嫌になるくらいそれはそっくり俺の形だった。



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